以下
1984年に中島みゆきのオールナイトニッポンに送られてきたはがきです。
ペンネーム
「生きるのって辛いね」
"わたし、世界で一番のブスです。
誰が見たったブスです。
自分でも分かっています。
分かってるんです。
でも人から変な態度とられると
やっぱり傷つくんです。
周りの友達から毎日ブスって言われて
街歩いてても吐くマネされて。
学級の男子からは睨まれて
おまけに生徒会長の人からは目の前でいろんなこと言われて。
ああ、目の前が霞んで見えない。
字も書きにくい。でも頑張って書きます。
わたし、今年で受験です。
志望校に願書も出します。
だけど、だけど
その高校には恐い人がいます。
中2の終わり頃、何度も何度も目の前に立って吐くマネして、みんなの笑い者にされました。
同じ高校に入ったら、またイヤなことされて
毎日泣かないといけないのかと思うと勉強できません。
死にたいなと思ったり
わたしが死んだらあの人達喜ぶだろうなとか考えます。
お母さん恨んだけど、恨んじゃいけませんよね。
ここまで育ててくれたんだもの。
みゆきさん、こんな私でも
生きててよかったって思うことありますよね。
堂々と人前で歩けるようになる日
来ますよね。
その日を夢見て頑張ります。
そして、そして
みゆきさんのコンサートの日には
今のわたしではない、わたしになってみようと思います。"
この文章だけでも
この方は素晴らしいものを持っていることがわかりますね。
以下、それに対する中島みゆきさんの答えです。
「日本中でこの今の番組を聴いてる人。
誰が1番醜く見えるか分かると思います。
このハガキをくれたあなた。
そのくらいのことわかる人が日本中にいっぱいいると思います。
これから色んな人に会っていくことと思います。
世の中狭くみないでくださいね。
女の子は金さえかければある程度いくらでも美人になれるとわたしは思います。
顔ってのはいくらでも作れます。
金さえかければ。
でも、金かけて綺麗になれないものもあると思います。
コンサートの日は
あんたのままの、あんたで
おいでよね。」
人は誰しも
誰かに悩みを打ち明けられたとき、何かしらの答えや提案をしたくなってしまうものです。
そこには無意識の
「相手によく思われたい。」「役に立ちたい。」「自分ならできる。」という自分本意の気持ちがあるのです。
「そのままでいいのよ。」
とか
「こうしたらいいのよ。」
とかでもなく
「あんたのままのあんたで、おいでよね。」
ただ、包み込んだのです。
ハグをするかのように。
「わたしではないわたし」より「あんたのままのあんた」に聴きに来て欲しい。
ハガキからそう思ったのでしょうか。
ロレックスやらマンションやランクルなど
資産価値を気にする時代です。
物の価値が下がらないことに皆必死です。
私達自身の価値はどうなのでしょうか。
自分の価値は何で図られるのでしょうか。
お金、仕事、容姿
時間が経てば消えていくものです。
本物の研ぎ澄まされた優しさは
何億円か出せば買えるでしょうか。
核兵器を使えば手に入るものなのでしょうか。
価値が消えていくものなのでしょうか。
席を譲るとか、ゴミを拾うとか、
ドアを開けてあげるとか、
決してそういう次元ではないです。
"お金をかけても綺麗になれないものもある"
むぎは
「綺麗にならない」ではなく
「綺麗になれない」という表現に凄く惹きつけられました。
本物の優しさというのは
車みたいに自分の意思で外から簡単に磨けるものではなく
その人の中に、これまで生きてきた人生から溢れ出ているものなのだと。
決して外から自分の意思で簡単に触ることはできないものだと。
むぎももっと大きな存在になれるよう
これからの人生をまっずく生きていこうと思う次第であります🐥